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札幌高等裁判所 昭和44年(う)114号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は札幌高等検察庁検察官検事伊藤嘉孝提出の控訴趣意書(ただし、別紙のとおり訂正)に記載されたとおりであり、これに対する弁護人の答弁は、弁護人渡辺良夫(被告人崇本につき主任)、同佐藤文彦(同小野につき主任)、同南山富吉、同宇津泰親共同提出の答弁書に記載されたとおりであるから、いずれもここにこれを引用し、これに対しつぎのように判断する。

第一被告人崇本に対する不退去罪の成否について

論旨は、原判決は、「被告人崇本良順は、全日本自由労働組合夕張支部(以下、夕張自労または組合という)執行委員長であるが、昭和四〇年六月一九日午後零時四〇分頃夕張市本町五丁目夕張公共職業安定所二階所長室において、同所長太田誠一から右安定所構内より即時即去するよう要求されたに拘らず、同所長室に居坐り、もつて故なく右太田の看守する建造物から退去しなかつた」との公訴事実に対し、太田所長の退去命令が不公正、違法なものであるから、同被告人に退去義務はないとして不退去罪の成立を否定したが、関係証拠を総合すれば、右公訴事実にかかる罪は十分これを認め得るのであるから、原判決は、証拠の取捨選択およびその評価を誤つた結果、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認(ただし、後記のとおり法令解釈の誤の主張を包含すると認める)を冒したものである、というのである。

一被告人崇本らと太田所長との交渉(以下、本件交渉という)が、団体交渉に該らない違法不当な強談威迫行為であつたとの所論について

所論は、同被告人らの本件交渉の真の目的は、太田所長らを威迫屈服させることのみに存し、かつその態様も終始粗暴であつたのであつて、右交渉は、まず右の点から団体交渉の名に値しない強談威迫類似の行為である。のみならず、被告人らは、そもそも、夕張公共職業安定所(以下、夕張職安ないし職安という)に対して団体交渉をする権利(以下、団交権ともいう)を有しないのであるから、本件交渉がいわゆる団交権の行使であるとし、これを前提として本件不退去罪の成立を否定した原判決の認定は誤である、というのである(なお、右後段の主張の中には、法令解釈の誤の主張を包含すると認める。)。よつて審按するに、

(一)  本件交渉は、その目的、態様自体に照らし、交渉の名に値しないか。

一件記録ならびに当審事実調の結果を総合すれば、原判決理由第二の一、二において、「本件事件の背景」および「夕張職安における被告人崇本らの行動」と題して認定した事実は、おおむねこれを肯認することができる。(ただし、当日太田所長から提案された四項目の交渉ルール案は、本件の二、三日前電話で組合の折笠組織部長に対し事実上提示してあつたもので、当日、全くはじめて示されたものではなかつたが、正式の席で話題にされたのは、当日がはじめてであつた。)そして、これによると、本件交渉に際し、組合側において、前任地でとかくの風評のあつた太田所長に対し、夕張自労の決意のほどを示し、以後の交渉において主導的な立場を確立しようとの意図が全くなかつたとはいえないにしても、その主たる目的は、同所長に対し、組合と事業主体たる夕張市との団交により、すでにおおむね事実上の了解が得られていた非番日変更の問題につき、何故に職安が異を唱えるのかその真意をただし、労働者の立場を直接説明するにあつたと認めることができるのみならず、同被告人らのその際の言動も、社会通念上許容される限界をはるかに逸脱していたとは考えられないのであつて、本件交渉が、その目的・態様自体に照らし、交渉の名に値しないような不当なものであつたとは認められない。

所論は、(1)太田所長は、本件交渉の冒頭において、組合側の要求する非番日変更の問題に応じられない一応の理由の釈明をし、被告人崇本らも一応これを了承していた。しかも、同被告人らが執ように要求した六月二五日の非番日を同月二三日に変更する問題は、組合側において、当時すでにその実益が消滅し、従つてその交渉の必要性も失われていたものである。(2)本件交渉の他の一つの目的とされる七月以降の非番日変更の問題は、当日午後零時二〇分ころ、野次と喧騒の中で、職安側にやつと聞き取れる位の声でなされたにすぎない。(3)被告人崇本らの言動は、終始粗暴であつた。(4)同被告人らは、集団の威力を背景に、職安側を威迫したものである。(5)本件は起るべくして起つた組合から職安に対する先制攻撃的な威迫である、等の理由を挙げて、原判決の認定を争うので、この点につき、以下、若干補足説明する。

(1) 当日の交渉の過程における太田所長の理由の説明は、原判決も詳細指摘するとおり、労働省通達(昭和三八年一〇月二三日付職発第八四九号)の字句の説明に終始し、とうてい組合側を納得せしめるに足りる合理的なものではなかつたのであつて、現に、組合側が右説明を諒としたものでないことは、本件交渉の全過程に徴し明らかである。右交渉の過程において、組合側が、かりに所論の指摘するような言葉を用いたことがあつたとしても、右はあくまで、紛糾する交渉の過程における一種の説得の技術として使われたものと理解すべきものであつて、これをもつて、所論のいうように、被告人らが、一応にもせよ所長の説明により納得したことの証左とすることはできない。また、組合側において、当日の要望事項のうちの一つである六月二五日の非番日を二三日に振り替える件については、すでに右振替えの実益の消滅していたこと、所論の指摘するとおりであるが、もう一つの要望事項である七月以降の非番日変更の問題については、なお交渉をする必要と実益が存しただけでなく、そもそも、本件紛争の発端は、従前市との団交により組合側の要求の容れられたことが多く、しかも職安にとつて何ら痛ようの感ぜられない非番日変更の問題について、職安側があえて異を唱え、その実現を不可能にしておきながら、何ら納得すべき理由の説明をしていなかつた点にあつたと認められるのであつて、右のような慣行無視の態度に出た職安に対し、組合側が当面その合理的な理由の釈明を求めるとともに、その不当を指摘して是正を求めることは、ことが労働者の重要な労働条件に関係し、爾後への影響も無視できない問題であるだけに、十分理解できるところである。前記のとおり二五日の非番日振替えの実益が当時消滅していたからといつて、本件交渉の目的の正当性の失われるものでないことは明らかである。

(2) 本件交渉において、組合側から七月以降の非番日変更の問題が持ち出されたのが、午後零時すぎころであつたと認めるべきことは、所論指摘のとおりであるが、この点からただちに、被告人崇本らが、右の問題を職安とまじめに交渉する意思がなかつたと見るのは相当でない。すなわち、まず、当日組合側が右の問題を持ち出す時期がおくれたのは、太田所長が二五日の非番日振替えの拒否についてすら合理的理由の説明をしなかつたばかりか、わずか三〇分程度の折衝の後、突如四項目の交渉ルール案の提案を逆に行ない、これに同意しなければ右非番日変更を了承できないとの態度を示したので、以後の交渉の焦点が、右交渉ルール案の提案方法およびその内容の当否に移行して子まつたからであると認めるのが相当であり、以上のような当日の交渉の経緯に照らすと、被告人崇本らにおいて右の問題を持ち出す時期がややおくれたことから、ただちに同被告人らが、この点につき、職安と真剣に交渉する意思がなかつたと見るのは相当でない。組合側において当時、七月以降の非番日変更の問題が、生活権に関する重要な問題として取り上げられており、六月二五日の非番日振替えの実益が消滅した後においても、この点につき依然職安と交渉をする必要とその実益の存したことは明らかであつて(なお、原審証人藤田新一の原審公判廷における供述((以下、原審藤田証言という。他も右の例による。))中所論指摘の部分は、当審藤田証言、当審小野供述等に照らすと、右の問題の重要性を否定する趣旨に理解すべきでないというべきであるし、市に対する交渉のみでは、その実現の見込みがきわめて稀薄であつた当時の状況を前提とする限り、「組合側の希望は市に対して提出すれば事足り、直接職安に対して交渉する必要はない」との所論はとうてい肯けない。)、現に、この点は、時間的にややおくれたとはいえ、一応の理由を付して現実に交渉の場に持ち出されているのである。もつとも、右の問題が持ち出されたのは、前記のような状況の下であつて、この点が深く論議された形跡はうかがえないが、前記のような交渉の経緯ならびに当時の緊迫した状況を前提とすれば、ある程度それをやむを得なかつたというべきであろう。

(3) 交渉の過程において被告人崇本らから、やや粗暴な言辞が発せられたことは、原判決も認めるとおりであつて、交渉を平和的に進めるべき立場にある者として、同被告人らの態度に全く問題がなかつたわけではない。しかしながら、その際の問題となる言動も、せいぜい所論の指摘する程度に止まり、いわゆる脅迫的な言辞が発せられた形跡は全く認められないのみならず、被告人らのかかる言動が、職安側の前記のような誠意のない態度に誘発されてなされたと考える余地が十分あること等からすれば、右は、社会通念上許容された限度をはるかに逸脱した不当なものであつたとまでは認められず、したがつてまた、同被告人らの言動がいささか粗暴であつたことから、ただちに、被告人らが真しに交渉しようとする意思を有しなかつたと断定するのは、早計であるといわなければならない。

(4) 当日、交渉の状態を聞き知つた組合員らが、漸次職安周辺に参集してきたことは、所論の指摘するとおりであるが、その時期は、主として、交渉の打ち切られた後の午後二時以降であると認められ、前記交渉の続行中から右のような状況が現出されたと認めるべき的確な証拠は見当らない。したがつて、被告人崇本らが多数の組合員を動員し、集団の威力を背景に、職安側を威迫したと認めることもできない(所論指摘の、被告人崇本が、所長室の窓から組合員に呼びかけ組合員が、これに呼応したとの状況は、交渉打切り後で、しかも被告人らが排除される直前の午後四時前後のことであることが明らかである。)。もつとも、当初、被告人崇本を含め三名であつた組合側の代表者が、その後漸次数を増し、交渉打切り当時には、七、八名に達していたことは、原判決も認めるとおりであるが、右の程度の代表者の増加をもつて、被告人らが集団の威力を背景に、職安側に威迫を加えようとした証左となすのは相当でない。

(5) 前任地の網走において、対組合の関係で、とかくの風評のあつた太田所長に対し、組合側が、着任当初から、かなりの警戒心を抱いていたことは事実と認められ、本件交渉にあたつても組合側において、同所長に対子、この際夕張自労の決意のほどを示し、以後の交渉に主導的立場を確立しようとの意図がなかつたといえないことは、原判決の説示するとおりであるが、所論の指摘する、本件交渉の背景をなす組合側と所長との一連のやりとり、さらには原審佐藤豊勝証言の趣旨等をふまえて本件交渉の経過をつぶさに観察しても、未だこれをもつて、所論の指摘するような不当な目的をもつてなした先制攻撃的な強談威迫類似の行為であるとの心証を惹起するにいたらない。

以上のとおりであつて、本件交渉の目的、態様の不当性から、被告人らの行為が、そもそも交渉の名に値しないようなものであつたとの所論は、にわかに採用し難いといわなければならない。

(二)  本件交渉は団体交渉権の行使といえるか。

緊急失業対策法に基づく失業対策事業に就労するいわゆる失対労働者(以下、失対労働者という)が職安に対し憲法二八条の保障する団体交渉権を有するか否かについては、すでにこれを消極に解する一連の最高裁判所の判例が存し、右判例は、一応これを確定したものと見るべきこと、検察官所論の指摘するとおりである。右判例の見解に対しては、弁護人が答弁書において指摘するとおり、有力な学説の批判があり、その中には種々傾聴すべきものがないわけではないが、右判例がすでに確定したものと見ざるを得ない以上、法的安定の見地から、当裁判所においても、これに従うこととする。したがつて、失対労働者の職安に対する団交権の存在を前提とし、本件交渉を右団交権の正当な行使であるとした原判決は、所論の指摘するような法令解釈の誤を冒したものといわざるを得ない。

しかしながら、失対労働者が職安に対し、憲法の保障する団交権を有しないとの一事から、これが職安との間で、直接折衝する何らの権利も有しないということにはならないのであつて、本件のような事情により非番日変更の実現の見込が事実上失われた場合においては、組合は職安に対し、非番日変更の申出を拒否したことの合理的な理由の説明を求めると同時に、自らの立場直接説明することができ、職安所長は、誠意をもつて、これに応対しなければならないと解するのが相当である。すなわち、被告人崇本らが太田所長に対し、本件交渉を求めるに至つた経過は、原判決がその理由第二の一および第三において詳細説示するとおりであるが、いま、右判断の前提として重要と思われる点を摘記すれば、つぎのとおりである。すなわち、(1)夕張職安においては、かねて長期紹介方式に則り緊急失業対策法に基づく労働者の紹介業務を行なつていたが、予算上の制約等の理由から定められる非番日は、慣例上金曜日と定められることが多かつたこと、(2)右非番日において、労働者は他の企業等に就労する機会はほとんどなく、結局この日は、失業保険金の給付を受けて生活せざるを得ないこと、(3)組合は、昭和四〇年六月一七日の夕張市との団交において、市に対し、①同年七月以降の非番日を従来の金曜日から水曜日または木曜日に変更すること(これは、失対賃金の給付を受けられない日を週の後半に片寄せないためである)、および②同年六月二五日の非番日を同月二三日に振り替えること(これは、二三日に予定されている組合の行事に組合員が参加するためである)の二点の申入れに行なつたこと、(4)市側においても、かねてより労働者の要望があつた場合にはこれを容れて非番日を振り替えた事例が少からず存したことや、前記の非番日を右のように振り替えても事業遂行上特別支障日生ずるおそれがなかつたところから、これに応ずるつもりでいたこと、(5)しかるに、翌一八日、市から右の事情を伝えられた職安においては、右非番日変更につき強く反対したこと、(6)当時、非番日の変更、振替えは、事業主体である夕張市と職安との合意により決定する旨の協定があり、夕張市がこれを単独で決定できない実情にあつたから、組合の前記申入れの実現の見込は事実上失われたこと、(7)前記の事情を伝え聞いた組合側では、ただちに電話で職安に対しその反対する理由をただしたが、業務課長生出正からは、事業施行日の振替えは「降雨降雪その他やむを得ない理由」による以外には認めない旨の労働省通達があり、本件は労働者側の事情によるものであるから、これに該当しないというきわめて不合理で形式的な説明しか受けられなかつたこと。

このように、本件においては、失対労働者の重要な労働条件の一つである非番日旨変更、振替え等の問題につき、組合が事業主体である市との団交により、すでにその事実上の了解を得ていたにも拘らず、職安側の、従来の慣行を無視した拒否に会つてその実現の見込が事実上失われたのであるから、かかる場合、組合側において職安所長に対し、右のような態度に出たことの合理的説明を求めると同時に、自らの立場を直接説明することは、それが不当な強談威迫にわたらず、その時間的長短その他の点からみて、社会通念上相当と認められる限り、条理上当然に許されると解される。けだし、職安所長は、憲法により労働者の労働基本権を尊重すべく義務づけられた公務員であるから、組合と事業主体との自主的な団交の結果は、できる限り尊重するのが筋であつて、何ら実質上の必要もないのに、右交渉に事実上介入し、みだりにその結果を左右するようなことは厳にこれを慎しまなければならず、もし、何らかの必要があつて、右労使間旨交渉に介入する場合には、少くとも、右交渉の当事者(主として組合側)に対し、そのような態度に出たことの合理的かつ実質的な理由をなす義務があるというべきだからである。右のことは、憲法二八条の内容そのものではないとしても、憲法が労働者に団交権を保障した趣旨を実質的に考察し、あわせて憲法一五条、九九条等の規定の趣旨を合理的に勘案すれば、条理上当然に認められて然るべきところと解されるのであつて、組合側から右理由の説明を求められた職安所長は、労働者と事業主体定団交の結果に重大な影響を与える立場にあり、かつ、労働者の労働基本権を尊重すべき憲法上定義務を負う公務員として、誠意をもつてこれに答えなければならない。(なお、右のような関係を目して、失対労働働が職安所長に対し「事実上の団交権を有する」あるいは「団交権類似定権利を有する」ということは、もはや表現の問題であろう。しかし、すでに述べたところから明らかなように、失対労働者の右のような権利は、前記のような本件の特殊な事実関係のもとにおいて、憲法二八条、一五条、九九条等の規定の趣旨を実質的に勘案して認められる条理上の権利であつて、当裁判所においても、失対労働者の職安所長に対する団交権の存在を端的に肯定するも定ではない。したがつて、当裁判所の見解にしたがつても、職安側が組合の申出を不当に拒否した場合に、労働組合法二七条、二八条等により、法的にこれを強制することはできないといわなければならないし、また、組合が求め得る話合の内容および方法等の点においても、正規の団交権を有する場合とは、自ら相当の径庭があることは明らかであるが((たとえば、組合が求め得るのは、原則として、当該の問題に関し職安側の合理的な説明を求め、これに対し、自らの立場を直接説明するという限度に止まり、職安側の説明が完全には納得できない場合であつても、それが相応の合理性を有する限りは、執ように自己の立場を主張して、話合の継続を求めることは許されない。))、それにしても、本件における太田所長のように、職安側が、明らかに不合理かつ形式的な理由の説明しかしないで、話合を打ち切ろうとする場合には、労働者が、さらに、実質上の説明を求めて話合の続行を求めうることは、多言を要しないところである。)

したがつて、本件における右のような特殊性を度外視し、失対労働者が職安所長に対し憲法の保障する団交権を有しないとの一事から、これに対し、いわゆる請願権の行使に該る場合のほか、何ら直接折衝する権利を有しないとする検察官所論には、にわかに左袒し難いといわなければならない。

しかして、すでに前段において説示した本件交渉の目的・態様を前提として考察すると、本件交渉は、組合に当然許容された右のような権利の正当な行使であると解することが可能であるから、原判決の前記法令解釈の誤は、未だ判決に影響を及ぼすことが明らかであると認められない。

二退去命令の正当性および不退去罪の成否に関する所論について

所論は、太田所長の被告人らに対する退去命令に、不公正・違法を疑わせるべき点は見当らないのみならず、庁舎管理上必要かつ相当なものであり、かつ被告人崇本らには、所長室に居すわり続ける理由がないのであるから、本件につき不退去罪の成立することが明らかである。したがつて、これと異なり、本件につき不退去罪の成立を否定した原判決は、明らかに不当である、というのである。

よつて審按するに、原判決が本件不退去罪の成立を否定するにつき説示するところの中に、後記のとおりにわかに首肯し難い部分(たとえば、太田所長が警察との事前の通謀により事態を紛糾させようとしていたとの点)の存することは、所論の指摘するとおりであるが、所論の指摘を念頭に置きつつ一件記録を精査し、かつ、当審事実調の結果を検討しても、被告人崇本らの所為につき不退去罪の成立を否定した原判決の判断は、十分これを首肯することができ、これが誤であるとは認められない。すなわち、そもそも、建造物不退去罪は、建造物の管理者から退去の要求を受けながら、正当な理由なくして退去しないことにより成立する犯罪であるが、要求を受けて退去しない者がいる場合に、果たしてその「正当な理由」が存するか否かを決するためには、退去を求める側とそれを拒否する側の双方について、それぞれの具体的動機とその行為の態様とを相関的に考量する必要があるのであつて(最高裁判所昭和四二年二月七日判決・刑集二一巻一号一九頁参照)、かかる観点から本件事案を見れば、被告人らの所為が不退去罪として処罰さるべき実体を具有する違法な行為であるとは、にわかに認め難いのである。以下、この点を若干補足説明する。

(一)  太田所長は誠意をもつて本件交渉に応じたか。

本件交渉が午前九時三〇分ころ開始され、午後零時三〇分すぎころ打切りが宣せられるまで、約三時間にわたつて行なわれたことは所論指摘のとおりであり、当日が土曜日であつて、職員の退庁時刻が午後零時三〇分であつたこと等からすれば、太田所長は、本件交渉の申入れに対し、一応誠意をもつて応待したと解する余地がないわけではない。しかしながら、関係証拠によつて認められる本件の経緯を仔細に観察すれば、右交渉の際の同所長の態度は、誠意をもつて前記理由の説明にあたるべき立場にある公務員の態度として、甚だしく穏当を欠くものであつたといわざるを得ない。すなわち、当日、被告人崇本らとの交渉にあたつた太田所長の本件非番日振替え拒否についての説明は、その前日になされた生出業務課長の電話での説明の域を一歩も出でず、きわめて形式的かつ不合理なものであつたため、これに納得せずさらに実質上の理由の説明を求める組合側との間でたちまち対立を来たしてしまつたのであるが、同所長は、組合側が右説明に納得しないとみるや、間もなく原判示四項目の交渉ルール案なるものを逆に提案し、右交渉ルール案を組合側において同意するのでなければ、非番日振替え問題を了承しないとの態度を示し、そのためそれ以後の交渉の焦点を、もつぱら右交渉ルール案の提案方法およびその内容の当否に移行させてしまつたものである。所論は、太田所長が非番日変更拒否の理由として、前記労働省通達を挙げたのは不正確であつたとしながら、夕張市失業対策事業運営管理規程(以下、運管規程という)の存在を理由に、右非番日変更の申出を拒否した太田所長の措置は当然であつたという。しかしながら、原判決も説示するとおり、所論の指摘する運管規程一二条の趣旨は、就労日数の減少を招来し勝ちな事業施行日の変更を、事業主体が恣意的に行なわないようにする点に主眼があると解せられるのであつて、事業遂行上何らの支障がない本件のような場合において、組合側の要望を拒否する口実として、これを逆用することの許されないことは、多言を要しない。また、所論は、太田所長が、当日四項目の交渉ルール案を提案したことは、きわめて当然の措置であつて、そのために交渉が紛糾したとしても、同所長を責めるのは筋ちがいであるという。しかしながら、右交渉ルール案の内容の実質上の当否はさておき、それが組合と職安所長との交渉に関する従前の慣行を相当大幅に制約するものであることは疑のないところであり、正式の交渉事項として提示したのは当日が初めてであつたと認められることからしても、右交渉ルール案が、組合の機関決定も経ずに、当日そのまま組合側に了承される見込のなかつたことは明らかであつたといわなければならないから、太田所長が、それにも拘らず、前記のように当日たんに非番日変更問題について説明を求めに来たにすぎない被告人らに対し自己の説明義務を放てきして右交渉ルール案を逆に提案し、あまつさえ、右ルール案の了承を非番日変更の了承の交換条件として示したことは、その真意がいかようなものであつたとしても、客観的に見て甚だしく当を失した措置といわざるを得ないであろう。(なお、原判決は、太田所長は、事前に警察と結託し、組合に打撃を加える意図を有していたとし、右交渉ルールの提案も、右の意図のもとにおいてなされたとしている。なるほど右交渉ルール案の提案の時期、方法がきわめて当を得ないこと、当日出動した警察官の一人である小林孝太郎の証言中に、「午前一〇時ころには、職安から夕張警察署警備課に対し、その状況が報告され、その頃同署において署員に対し待機の指示がなされた」との原判決の認定に副う趣旨の部分があること、太田所長の着任と相前後して、職安と警察とがかなり緊密な連絡を保つに至つたこと等からすれば、この点に関する原判決の認定もあながち首肯できないわけではないのであるが、他方、当日待機を命ぜられた時間の点に関する前記小林証言が、その余の警察官および職安職員の証言に反するだけでなく、その内容も、一部記憶の混乱を疑わせる部分もあり必ずしも全面的な信を措き難いこと、職安と警察との連絡が密になつたのは厳密には、太田所長の着任以前からであつたと認められること等の諸点をも併せ考察すれば、原判決の掲げるその余の理由を考慮しても、同所長が予め警察と結託し、組合に打撃を与える意図であつたと断定するのは、いささかちゆうちよされる。したがつて、また、右意図の存在を前提とし、本件退去命令が不公正・違法であるとした原判決の認定には、にわかに左袒し難いけれども、前述の経緯に徴すれば、少くとも、太田所長が当日かかる提案を行なつた意図が当面組合側の攻撃のほこ先を他へそらして表面を糊塗しようとする不誠実なものであつたとの非難は、これを甘受しなければならないであろう。)

(二)  本件退去命令は必要かつ相当であつたか。

本件交渉の経緯に関する前段の説示を前提として考察すれば、太田所長の本件退去命令は、所論の指摘する、当日が土曜日であつて職員の退庁時刻が午後零時三〇分であつたこと等の事実によつてその庁舎管理上の必要性を根拠づけることは困難である。すなわち、同所長は、当日組合の申出に対し、誠意をもつて応対し、非番日変更の拒否につき、できる限り合理的な理由を説明すべきであつたに拘らず、前段説示のような甚だ当を得ない態度により、約三時間にわたる交渉時間の大半(二時間半)を、右申出とは何ら直接関係のない交渉ルール案の諾否に関する折衝に費やさせてしまつたものであつて、かかる交渉の経緯からすれば、職員の退庁時刻が到来したというだけで、他に格別緊急の必要もないのに、一方的に右交渉を打ち切り、組合側に退去を求めることは、公務員として甚だ当を失した態度であること、多言を要しないであろう。

(三)  被告人崇本らが所長室に止まる実質上の必要性はなかつたか。

被告人崇本らは、太田所長から非番日変更を拒否した合理的な説明を受けられなかつたのみならず、右変更の了承をすることの交換条件として当日新たに提示された交渉ルール案についても、両者間で引続き話合いをする目途すら立たないまま、一方的に交渉打切りを告げられたのであるから、せめて右ルール案について、以後の交渉を持つ余地を残すべく、さらに所長室に止まりたいと考えたとしても、あながちこれを非難することはできないであろう。所論は、同被告人らが、前記交渉の間に、右交渉ルール案について組合側の態度を留保する旨の発言がなされたことがない事実を指摘し、右は、同被告人らにおいて右提案を真しに論議する意思もなく、ただ、職安側を威迫困惑させる目的のみで居すわり続けたことの証左であるという。しかしながら、すでに述べたとおり、右交渉ルール案自体は組合側からの前記申出に対する一種の交換条件として提案されたものであるから(もつとも、太田証人は、原審ならびに当審公判廷において、右提案は、非番日変更の問題とは別個であるとして、これが交換条件として提案された事実を否定する。しかし生出業務課長は、原審公判廷において、一応は両者が別個の問題であつたとしながらも、「組合側が話合いのルールを認めるならば、前例としないで、組合側の申出を考慮してもいい、という態度だつたと思う。そういうはらも所長にはあつたんじやないかと解釈している」との趣旨の供述もしており((記録二冊七五一丁))、何よりも、当日交渉打切り間際に提示された五項目修正案第五項に、「以上四点を承認するならば、非番日の振替えを、今後の前例としない条件で今回に限り了承する」との一項があつた事実が、右の問題を提起する際の太田所長の意図を雄弁に物語つているといわなければならない。)、組合側において、この点の態度を留保して右非番日変更問題の交渉を行なうことは、言うべくして困難な状況であつたと解せられるのであつて、組合側から右のような発言のなかつたとの事実をもつて、ただちに被告人らが真しに交渉を進める意思がなかつたことの証左となすことはできない。

(四)  被告人崇本らは庁舎の平穏を著しく害したか。

被告人崇本らが、当日、午後零時四〇分ころから四時一八分ころまでの間再三にわたる所長の退去命令にも拘らず、他の組合員七、八名とともに、所長室に居すわり続けていたことは、原判決の認定するとおりであるが、その間、同被告人らは、同所において比較的平静に交渉の再開を待つていただけであつて、高歌放吟する等、特段喧噪にわたる所為に及んだ形跡はないのみならず、当日は土曜日の午後で、すでに職員の退庁時刻を過ぎており、被告人らが同所に止まることによつて執務に悪影響を及ぼした等の事情もなく、その時間は、約三時間で、いささか長きに失したきらいはないではないが、夜間にまで及んだというわけでもなく、被告人らの行為により、庁舎の平穏が著しく阻害されたとは認められない(小林孝太郎証言((記録一冊一五〇丁))参照。なお、被告人らが同室内において、労働歌を合唱していたとの村瀬証言四冊一六八四丁は、他の関係者の供述や、落合秋男作成の「現場写真撮影、作成について」と題する書面ならびに小林孝太郎作成の「写真作成について」と題する書面各添付の写真((以下、それぞれ落合写真、小林写真という))等からうかがわれる現場の状況に照らし、とうてい措信し難い。)。もつとも、その後、職安側との交渉状況を聞知した組合員らが、漸次、庁舎の周辺に参集し、午後三時五五分ころにはその数約一〇〇名程に達し、そのうち約六〇名が職安一階の労務者待合室に入り、その余の約四〇名が同職安構内およびその付近の道路上に散在するという事態が現出されたことは事実と認められ、被告人崇本が、時折り、右庁舎内外の組合員に対し、所論の指摘するような呼びかけを行ない、組合員らがこれに「委員長頑張れ」等と呼応した事実も、一応呼応した事実も、一応これをうかがうことができるけれども、被告人崇本らにおいて組合員を動員して参集させ、その威力を背景に交渉を有利に導こうとしたと認めるべき的確な証拠は見当らず、結局、右組合員らは、当日の作業終了後、交渉の結果を心配して自発的に三々五々参集してきたものと認めるほかないのみならず、被告人崇本の右のような呼びかけは、前記のとおり、被告人らが排除される直前ころ、参集した組合員らに対し散発的に行なわれたにすぎず、未だ庁舎の平穏を著しく害する行為であつたとは認められない。

以上のとおり、被告人崇本らに対し退去を求めた太田所長は、そもそも何ら実質上の理由がないのに、労使間において事実上の了解に達していた本件非番日変更の問題につき異を唱え、市と組合間の前記団交の成果を無に帰せしめる態度に出ただけでなく、組合から説明を求められでも、きわめて不合理かつ形式的な理由の説明を短時間行なつたのみで、庁舎管理上何ら緊急の必要も認められないのに、当面の問題と全く関係のない交渉ルール案を持ち出して、右交渉を打ち切ろうとしたものであつて、右行為は、労働基本権を尊重すべき憲法上の義務を負う公務員の行為として、きわめて当を得ないものであつた。他方、被告人崇本らの当日の交渉の目的は、主として、事業主体との間で事実上の了解に達していた前記事項につき、あえて異を唱えた職安側の真意をただし、自己の立場を直接説明しようとしたもので、それ自体何ら非難する余地のないものである。のみならず、現実にも、一応真しに交渉を進めようとしており、退去命令の発せられた後さらに庁舎内に止まろうと考えたことにも、あながち非難できない理由があり、その態様も、特段喧噪にわたつたとは認められず、庁舎内の平穏を著しく害したものでもない。そうすると、交渉の際、組合側に、いささか粗暴と思われる言動が散見されたこと、退去命令後庁舎内に止まつた時間が、いささか長きに失したきらいがないではない等被告人崇本の側の問題となるべき諸点をすべて考慮に容れても、本件における同被告人らの所為が、不退去罪として処罪さるべき実体を具有する違法な行為であるとはとうてい認められないのであつて、その理由づけをいささか異にするとはいえ、同被告人に対する同罪の成立を否定した原判決の判断は、結局、相当であると認められる。論旨は、理由なきに帰する。

第二被告人小野に対する公務執行妨害罪の成否について

論旨は、原判決は「被告人小野十次郎は夕張自労書記長であるが、前同日午後四時一八分頃、前記夕張職安二階所長室において、被告人崇本が不退去罪の現行犯人として夕張警察署勤務警部補高山智二、巡査部長吉田喜代美に逮捕された定ち直ちに右両名等によつて同警察署に護送されはじめるや、約二〇名の組合員と共謀のうえ、右安定所の庭や同安定所前の道路上において、右崇本護送の職務を執行中の前記高山および吉田両名を取り囲み、同人等の身体を押し又は引張るなどし、さらに、右同様職務を執行中の巡査今野征治の右背部に体当りするなどの暴行を加え、もつて同人等の公務の執行を妨害した」との公訴事実に対し、被告人小野が直接実行行為に及んだ事実および同被告人と他の実行行為者との間に共謀の存した事実を認めるに足りる証拠がないとして無罪の言渡しをした。しかしながら、関係証拠を総合すれば、本件公訴事実にかかる罪は、その証明十分と認められるのであつて、原判決は、証拠の取捨選択およびその評価を誤つた結果、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認を冒したものである、というのである。

一被告人小野と約二〇名の実行行為者との間に共謀があつたとの所為について所論は、被告人小野は、約二〇名の組合員らが警察官高山、吉田の両名を取り囲み、同人らの身体を押し又は引張るなどの所為に及んだ際、これを積極的に指揮し、あるいは、自らも右暴行に加わる等して、これと意思相通じ共謀していたことが明らかである、というのである。しかしながら、所論の指摘を念頭に置き、一件記録を精査し、かつ当審事実調の結果を検討しても、同被告人が他の組合員と暗黙にせよ犯罪的意思を互に通じ合つていたとは解し得ないとして右共謀の成立を否定した原判決の認定が誤であるとの心証には、ついに到達し得ないものである。

すなわち、関係証拠によると、高山、吉田の両名が被告人崇本を逮捕し、職安玄関から正門前の護送車に連行しようとした際、二度にわたつて、十数名ないし二十数名の組合員にこれを阻止されたこと、その際右組合員らは、口ぐちに「不当逮捕だ」「委員長を返せ」などと叫び、これらの者の中には、高山の衣服にすがりつき、あるいは腕を引張る等原判決所為に及んだ者があつたこと、被告人小野は、当日午後二時ころ、職安前に到り、正門前の組合宣伝カー付近で、職安側の態度の不当を訴える等の演説をしたりしていたが、被告人崇本が警察官に逮捕・連行されてくるのを見て、逮捕の不当を強く訴え、これに抗議する趣旨の発言をしたこと、同被告人がその後、一時前記組合員らの一団に近接した地点にいた時期があること等の事実が認められ、これによれば、同被告人が被告人崇本が逮捕されたことに強く抗議するため、他の組合員らと何らかの抗議活動に出ようとの意思を有していたと推測するに難くはないが、それ以上に被告人小野が、前記二十数名の組合員と一体となつて、これに暴行脅迫することを煽つたり、自らかかる実行行為に及んだとの事実は明らかでない。これに対し、所論は、(1)被告人小野は、組合書記長の地位にあり、拡声機で組合員の士気を盛り上げただけでなく、前記被告人崇本を護送する警察官を組合員らが阻止した際、「不当逮捕だ」「組合員がんばれ」などと叫んだこと、(2)自ら実行行為者の一団の中に入つて、暴行を働いたこと等の事実がある旨主張し、さらに、(3)同被告人らが「警察の挑発にのるな」と叫んだことは証拠上疑問の余地があり、その言葉の持つ意味も、必ずしも組合員を制止する趣旨と認め難い等の諸点を挙げて、原認定は誤であるという。しかしながら、まず右(1)の点についていえば、同被告人も自ら発したことを認める「不当逮捕だ」との言葉は別として、「組合員がんばれ」というような言葉を同被告人が現実に発したことがあるかどうかについては、これを聞いたという警察官今野征治の供述が一貫性を欠き(司法警察員に対する昭和四〇年六月二〇日付供述調書では、「二階で排除作業をしていたら、急に表で『わあー』という声がしたので、外を見たら、組合員らが、委員長の連行を阻止しており、被告人小野が『不当逮捕だ、直ちに釈放せよ、組合員がんばれ』とさかんに煽動していた」としているが、原審第一六回公判においては、窓から下をのぞいた際の状況を聞かれながら、その際小野の声を聞いたとは供述しておらず、「高山らの支援のため階下へ降り、高山の左腕を抱えるようにして引張るようにし、少しづつ前へ進んでいるとき、小野の声と思うが、マイクを使つて、不当逮捕だとか組合員がんばれとかいう声を二、三回聞いた」としており、当審第三回公判においては、そのどちらかであつたか記憶がはつきりしない、としている。)、必ずしもこれに万全の信を措き難いばかりでなく、当時、現場に多数の警察官が居たにも拘らず、同被告人の右の言葉を聞いたというのが今野証人ただ一人であること、同人の供述中には、後記のとおり、いくつかの矛盾ないし不合理が散見されること等からみて、右今野証言のみにより同被告人が右の言葉を発したと断定するのは、疑問であるといわなければならない。のみならず、かりに同被告人が右言葉を発したことがあるとしても、当時、委員長が不当に逮捕されたと信じていた組合員らにおいて(なお、崇本被告人の逮捕の必要性が存したかどうかは客観的にみて疑問であるといわなければならない。)、警察官に対して或程度の抗議活動を行なうことは、それが暴行脅迫にわたり公務の執行を不当に妨害するような事態に到らない限り、許されないものではないのであつて、被告人小野において、他の組合員とともに、右のような犯罪行為に到らない程度の抗議活動を行なうべく右のような言葉を発することも、十分ありうるところと考えられるから、右の言葉を発したとのことから、ただちに同被告人が他の組合員らに対し、暴行脅迫を煽つたとの評価を下すのは早計であろう。ちなみに、当時、組合員らが警察官に対して取つた行動は、原判示のとおり、その前方に立ちふさがつてこれを取り囲み、そのうちの何人かが、高山の衣服にすがりつき、腕を引張るなどして抗議したという程度に止まるものであつて、さして強力なものであつたとは認め難いばかりでなく(この点に関する原認定は、所論の指摘にも拘らず、優にこれを首肯するに足りる。)、被告人小野のいた位置等からみて、同被告人が、組合員らにおいてたんに警察官を取り囲んで抗議する以上の積極的な行動に及んでいることを認識していたかどうかも、明らかでない。つぎに、前記(2)の点についていうと、原審証人村瀬靖四郎は、同被告人が前記二十数名の組合員らとともに警察官を押していた旨所論の趣旨に副う供述をしているが、右のような状況を現認したというのは、現場にいた多数の警察官のうちで同証人のみであるところ、同証人は、原判決も指摘するとおり、かねて被告人小野に敵意を持つていると思われる特殊な関係にあり、その供述中にも相当誇張した表現が随所に見られること等からすれば、これをその供述通りに受け取るのは危険であるといわなければならない。もつとも所論は、小林写真第六葉(以下、小林写真6という。他も右の例による。)が、右村瀬証言を強力に補強するという。しかし、右小林写真6は、所論も認めるとおり、同被告人が暴行の実行行為をしている際の状況を撮影したものではなく、また右撮影の時点の前後において、同被告人が、村瀬証人の供述するような所為に出たことを強く推認させる資料とも認め難いものであつて、結局、これによつて明らかとなるのは、同被告人が、一団の組合員の後方に接着する位置で何事か叫んでいたことがあるとの事実にすぎないのである。そして、右小林写真6が右のようなものにすぎない以上、右は、同被告人の「地区労の斎藤議長が来たころ、彼を知らない人が、私服警官とでも間違えると危いと思つて『これは地区労の議長だぞ』ということで集団に近付いたことがある」との弁解と必ずしも矛盾するものではなく(ちなみに、右写真の同被告人の位置、姿勢、表情、さらに、その後方に斎藤地区労議長の姿が見えること等からすれば、右は、同被告人の弁疏するような状況を撮影した写真であると見られないことはない。)、これをもつて、右右弁解を排斥し、前掲村瀬証言を強力に補強する資料とみることはできない。さらに前記(3)についていうと、この点に関する同被告人の供述を補強すべき原審伊東直紀証言は、所論の指摘にも拘らず、小林写真5によりうかがわれる客観的状況と矛盾するとは認め難く、他にこれらの供述の信ぴよう性を疑うべき特段の事情を見出し難いのであつて、同被告人が右のような言葉を発したとの事実を認めた原認定が誤であるとは認められない。

このように見てくると、同被告人が他の組合員らに対し、暴行脅迫の所為に出るよう気勢を煽つたとか、これと一体となつて自らも実行行為に加担したと認めるべき的確な資料は、十分でないと認めるのが相当であつて、これと同趣旨のもとに、同被告人と前記二十数名の組合員との共謀の成立を否定した原判決の認定は、十分これを首肯し得るところである。(なお、原判決は、右のほか、共謀の成立を否定する資料として、同被告人が予め組織的な阻止態勢を組む等の所為に出ていない点を挙げている。同被告人が、当時被告人崇本が逮捕されることまで予期していなかつたことは証拠上明らかであり、したがつて、この点を把えて本件共謀の成立を否定すべき資料となし難いことは、所論の指摘をまつまでもなく明らかであつて、原判決の右説示は適当でないといわなければならないが、この点を除外して考察しても、容易に原判決と同一の結論に到達し得ることは、すでに述べたところから明らかであろう。)

二被告人人野が今野巡査に体当りした事実があつたとの所論について

所論は、被告人小野は、職安前路上に駐車中の護送車付近において、被告人崇本を護送する職務に従事していた巡査今野征治の右背部に体当りしたことが、明らかである旨主張する。よつて審按するに、この点については、所論の主張する状況に符合するかに見える菅原美紀生作成の「現場写真撮影について」と題する書面添付の写真番号15およびこれを拡大したもの(以下、これを写真Aという)のほか、体当りの瞬間を目撃したという前記村瀬および佐藤章の各原審証言、およびこれを側面から支持する趣旨の前記今野の原審および当審証言等が存在し、一見、右体当りの事実は明白であるかに見えるのであるが、原判決は、右写真を含め、関係証拠を仔細に検討した末、右写真Aおよび垣添繁美撮影の写真(以下、垣添写真という)により示されている同被告人の動作が、果たして、自ら意図して突き当つていたものか、あるいはまた同被告人が弁疏するように、何らかの外力を加えられたため警官隊の背後に体勢をくずして倒れかかつていつた状態と見るべきか、これを一義的に認定することはできないと判示したものであつて、所論の指摘を念頭に置いて、一件記録を精査し、かつ、当審事実調の結果を検討しても、原判決の右の結論が誤であるとの心証は、ついにこれを惹起し得ない。以下、所論の指摘にかんがみ採証上問題となる主要な論点に関し、当裁判所の見解を説明する。

所論は、まず、写真Aは、被告人小野のいわゆる体当りの瞬間を撮影したものと解さなければ合理的に理解できないとし、るる主張するけれども、所論の指摘を念頭に置き、写真Aおよびこれとほぼ同じ瞬間を撮影したとみられる垣添写真とを対比し、仔細に観察しても、右二枚の写真のみによつては、同被告人が今野巡査に体当りをしたと一義的に断定するだけの心証を惹起するに由ないことは明らかであつて、結局、これを補強すべき現認警察官等の供述さらには被告人の弁解等の各合理性を比較検討し、総合的に決するほかはない。そこで、右の観点から関係証拠をさらに仔細に吟味するに、

(一)  村瀬証言および佐藤証言の疑問は解明されたか。

原判決は、被告人小野の体当りを現認したという警察官村瀬靖四郎および同佐藤章の各証言に対し、種々の角度から疑問を投げかけており、その大部分は、所論の指摘にも拘らず、なお、十分解明されたとは認め難い。すなわち、原判決の掲げる疑問のうち、(1)同被告人が宣伝カーの方から走つてきて体当りをしたとして、写真Aのような姿勢、体位になるのか、および(2)右写真の状況から反射的に宣伝カーの方へ走り去るのに、右斜後方の警官の存在が障害にならないか、の二点につき、所論は、村瀬は、同被告人が体当りした後宣伝カーの方向に逃げたと証言しているのみで、その逃走経路までは述べていないこと、現場の状況は時々刻々変化するのに、写真は一瞬を静止的に把えたものにすぎないこと等の論拠を挙げてこれに反論している。傾聴すべき意見ではあるが、村瀬および佐藤は、同被告人が、「体当りをしたと同時に、きびすを返して宣伝カーのほうに逃げ去つた」(村瀬証言・記録四冊一六九一頁)、「その走り方は、ちようど短距離選手が走るようなダッシュのきき方だつた」(佐藤証言・記録四冊一五八六丁)というのであつて、右各証言からうかがわれる同被告人の行動を前提とする限り、前記疑問は、なお疑問として残る。つぎに、原判決の(3)小林写真5(以下、写真Bという)が写真Aの直後に撮影されたものとすると、宣伝カーの方に逃げ去つた同被告人が写真Bの状況でうつつている点からみて、「逃げ去つたのを見てすぐ被告人崇本を護送車に乗せるのを確認した」との村瀬証言は疑問ではないかとの指摘に対しては、所論の指摘するとおり、右写真Aと同Bの間に、約一分の時間的経過が考えられる以上、この点から村瀬証言に強い疑念をさしはさむのは、問題であるとの反論が一応は可能であるが、それにしても、(4)同被告人が右のような明らかな公務執行妨害行為をしたものとしては、写真Bにうつつている任務を終えた警察官が、いずれも同被告人の存在を無視した態度をとつている点が奇異に感ぜられるとの指摘は、(5)当日の制服警官の主要な任務の一つに、逮捕連行の過程にこれを妨害する者があれば、これを検挙することがあつたに拘らず、同被告人を検挙しようとする動きが全く見られなかつたとの指摘とともに、当審事実調の結果を加えて検討しても、なお合理的な説明が困難な疑問であつて、採証上注意を要する点である。さらに、(6)もつとも重要な目撃証人である村瀬について、捜査段階で一切調書が取られていないことは、捜査機関自身同証人の言をそのまま信用していなかつたためではないかとの指摘に対し、所論は、右は、捜査機関において佐藤の供述調書と写真Aにより、本件の立証が十分と判断したためで、その故に捜査の公正を疑うのは筋ちがいであるという。しかしながら、写真Aは、それ自体で同被告人の体当りの事実を立証できる十分な証拠力を有しないこと、前述のとおりであり、佐藤証言にしても、目撃の際の同人の位置、状況からして、観察の完全性を期し難いことが明らかなのであるから、何ら特段の理由もないのに、捜査機関が、犯行の一部始終を目撃したという、もつとも重要な証人である村瀬の供述を録取する労を省くようなことは、本件が、いわば一瞬の間に行なわれた目撃者の少ない行為であつて、しかも、公判において激しく争われることが当然予想されるところのいわゆる公安労働事件に属するものであるだけに、にわかに納得し難いところといわなければならない。原判決の提起した右の疑問は、所論の指摘にも拘らず、同人が被告人小野と前記の特殊な関係にあつた事実とともに、村瀬証言の証明力を相当大幅に減殺する事由たるを失わないであろう。また、原判決が佐藤証言に対して提起したその余の疑問も、必ずしも、所論の指摘するように、片言隻句に把われた的はずれな疑問であるとは認め難い。

(二)  今野証言の疑問は解明されたか。

今野証言は、もともと、被告人小野のいわゆる体当りの事実を現認したものではないが、自己の背中に体当りされた感じを受けたこと、および、すぐ後方を振り返つて見たところ、逃げていく人の姿を見たこと、の二点において、前記村瀬、佐藤の両証言を側面から支持するとみられるものである。右証言に対しても、原判決は、種々の疑問を提起しているが、当裁判所においても、つぎの諸点において、その証明力に相当の疑問を禁じ得ない。すなわち、(1)まず、同証人の、体当りされたと感じてすぐうしろを振り返つて見た際の状況に関する供述には、前後、相当大幅なくいちがいがある。同証人は、原審公判廷においては、「振り返つたとき、小野の姿は二メートル位うしろにいた」と供述し(記録四冊一四九九丁)、当審公判廷においては「大体三メートル位のところを走つていくのを見た」旨供述しており、その間さして大幅なくいちがいがないかに見えるが、時間的に、事件にもつとも接着した昭和四〇年六月二〇日付の司法警察員に対する供述調書においては、「七、八メートルも先の組合員の中に逃げ込んでいくのを見た」旨供述し、さらに、その翌日である六月二一日付の供述調書では「振り向いたところ、私の四メートル位後方に、小野が私のそばから引き下つたようなかつこうで私の方を見ていた」旨供述しており、振り返つて見た際の被告人小野との距離関係のみならず、その際の同被告人の動作についても著しいくいちがいを来たしているのであつて、右は、同人が後方を振り返つた際に見たという印象的な情景に関するものであるだけに、同証人の供述の信ぴよう性に相当重大な疑問を抱かせる事由といわなければならない。(2)同証人は、当審公判廷において、「体当りされたと思つた瞬間に近い時、うしろを振り返つたら、小野が走つていくのが見えた」とし、さらに、「写真Aは自分が振り返る動作に入つてからのことと思う。自分が右写真のような状況になつたのは、後方を振り返ろうとした時一回だけである」としている。ところで、右写真Aによると、今野の顔面は、すでにパトカーと平行の状態から、右斜前方に向きかかつており、もしこれが、同人の供述するように、後方を振り返る動作に入つてからのものだとすると、同人は、右写真の状態からきわめて接着した時間内に、後方を見たことになると推認され、しかも、その際、被告人小野は、すでに少くとも三メートル以上離れたところを走つていたことになるのである。しかしながら、右写真Aおよびこれと相前後して撮影したと思われる垣添写真を仔細に観察すると、同被告人の上体は、当時前方の警察官と相当強く接触しており、しかもその右後方の警察官とも、体の一部が接触していて、右写真Aの時点から、きわめて接着した時間内に、三メートル以上も離れた地点を走り去るような態勢に移行することは、きわめて困難なのではないかと思料されるから、今野証言には、この点においても疑問を容れる余地があるといわなければならない。(3)その他、同証言には、弁護人が弁論要旨(その四)において指摘するように、突当られた場所が供述の都度微妙に変化していること、事件の直接の被害者であり、しかも、当時すでに、自己の護送の任務がおおむね終了していたにも拘らず、同被告人を検挙しようとしていないこと、等の点においても、不自然の感を禁じ得ないものである。

(三)  被告人小野の弁解および垣添証言は不合理か。

所論は、被告人小野の弁解および垣添証言は、いずれも明らかに不合理でとうてい採用できないという。たしかに、警察官あるいは他の第三者が、ことさらに白昼公衆の面前で同被告人を突き飛ばすような無謀な挙動に出たであろうとは、常識上にわかに考え難いから、同被告人の弁解を、第三者によつて、ことさらに突き飛ばされて前方へ倒れかかつたという趣旨に理解する限り、突飛な弁解であるといわざるを得ないであろう。しかし、同被告人は、原審および当審公判廷において、自己に外力の加わつた原因を、故意であつたと断定して供述しているわけではなく、たんに「後ろから何か突き飛ばされたのか、ぶつかつたのか、あるいはもみ合いでもつてどうなつたのか、そんなことはわからんけれども、後ろから何か人の力が加わつた」旨供述しているに過ぎないのであつて、そうであるとすると、右は、必ずしも不合理・不可解な弁解であるとして簡単に排斥し去ることはできないように思われる。すなわち、前掲写真Aだけを見ると、同被告人の上体は、やや前傾して、今野巡査の上体と相当強く接触しており、右は一見、同被告人が、自力で警察官の一団に強く衝突したか、あるいは、自力で右一団の中に分け入ろうとしている瞬間であるかに見えるのであるが、その拡大する以前の密着写真(14A14B15と表示のあるもの)および垣添写真をも併せ、さらに仔細に観察すると、右前者の写真では、拡大された写真Aでは見ることのできない同被告人の腰からももにかかる部分がわずかに見られ、右は、やや右側に屈折しているように見受けられるのであつて、右は、見方によつては、右後方の警察官(渋川巡査と思われる)に上体を押され、意に反して上体を前方へ倒しかけていつた状況に見えないことはない。つぎに、垣添写真に見られる同被告人の顔の位置、表情は、後方から押されたため、虚を突かれて上体を前方へ倒しかけていつた際のものと理解しても不自然ではない。さらに、垣添証言によると、同被告人は「制服警官と肩が触れ合う位」の至近距離で警官隊に抗議していたというのであるから、妨害者の排除に追われ、注意力を前方に集中していた警察官の誰かが、前方へ進出しようとして、誤つて同被告人の体を前方へ押した結果、前記のような状況が現出されたということも、経験則上あながちありえないことではないといわなければならない。なお、本件は、白昼、多数の警察官の面前で行なわれた犯行であるとされるのに、右体当りを直接目撃したという者は、わずか二名にすぎず、衝突の瞬間同被告人の後方至近距離におり、少なくともその直後同被告人の体と接触しているはずの渋川巡査すら、これを目撃した形跡がない。同被告人が前記村瀬、佐藤両証言によつてうかがわれるような行動をとつたとすれば、これを右警察官が全く気付かないというのは、不自然というほかないから、このことは、逆に、前方へ注意力を集中していた右警察官が、同被告人の存在に気付かず、誤つてこれを押したとする前記のような推測を側面から裏付ける事情といえないことはない。このように見てくると、被告人小野の弁解および垣添証言(ちなみに、両者は、同一の状況を異つた表現で述べたと解することができる。)は、前掲写真からうかがわれる当時の客観的状況と必ずしも矛盾しないと考えられ、これを不合理・不可解な弁解として、一蹴し去ることはできない。

以上のとおりであつて、本件については、いわゆる体当りの瞬間を目撃したとする村瀬、佐藤の両証言およびこれを側面から支持すべき今野証言の各証明力に、前述のような疑問があり、他力、被告人小野の弁解およびこれとほぼ同趣旨の垣添証言が、写真Aおよび垣添写真によつてうかがえる当時の客観的状況と必ずしも矛盾せず、不合理不可解な弁解として、いちがいにこれを排斥し去ることができないのであるから、結局、右体当りの事実を認めるに足りる証明が十分でないとした原判決の結論は、相当としてこれを支持すべきものである。論旨は理由がない。

よつて、本件各控訴は、いずれもその理由がないから刑事訴訟法第三九六条によりいずれもこれを棄却することとし主文のとおり判決する。

(中西孝 小川正澄 木谷明)

(別紙)〈略〉

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